書籍
ANGLO-AMERICAN ISTHMIAN DIPLOMACY · 1916
原題Anglo-American Isthmian Diplomacy, 1815–1915
中米地峡をめぐる英米外交
1916年刊・全11章、参考文献、索引 日本語全訳
英国と米国が中央アメリカの地峡交通、ベリーズ、ベイ諸島、モスキート海岸、ニカラグア運河、パナマ運河をめぐって展開した1815年から1915年までの外交史。前付、全11章、原注、参考文献、索引を省略なく訳し、原刊198頁直後の色刷折込地図を収録しています。
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メアリー・ウィルヘルミーン・ウィリアムズが、1815―1915年の中央アメリカ地峡をめぐる英米外交を検討した研究です。地峡交通、ベリーズ、ベイ諸島、モスキート海岸、ニカラグア運河、パナマ運河の問題を相互に関連づけ、領土と保護権の争いが海洋間交通の支配へどう結びついたかを追います。個別の条約だけを説明するのでなく、その交渉の前提と後の解釈の変化を長い時間のなかで捉えています。
冒頭では1815年以前の英国人の活動を振り返り、海賊、木材伐採、沿岸への進出などを外交問題の背景に置きます。モスキート王の名による領域主張は、とくにサン・フアン川と運河構想をめぐって重要になります。企業が工事や交通事業の保護を自国政府へ求め、英国側が保護下の領域を理由に警告する過程から、民間事業と外交当局の行動が相互に促し合ったことが分かります。
大きな転機となるのは1850年のクレイトン=ブルワー条約です。著者は条約成立の交渉と並行して、ベイ諸島やモスキート海岸をめぐる通告、米国上院への配慮、現地の外交官の行動を検討します。同じ「支配」や「保護」の言葉が、従来の権利を維持するためにも、新たな進出を制限するためにも使われるため、合意された文章がそのまま共通理解を意味しなかったことが浮かびます。
続く諸章では、ベイ諸島植民地と条約の再解釈、1855―1856年の危機、英国の後退をたどります。その後の米国による条約への反対、1894年のモスキート保留地の終焉、パナマ運河へ至る展開を扱い、両国の力関係と交通への関心の変化を示します。中央アメリカの政府の行動も関係しますが、研究の中心はあくまで英米の交渉であり、現地社会の経験を網羅する地域史とは視野が異なります。
注記には英国の外務省・植民地関係記録、米国の国務省文書、議会資料などが挙げられ、外交官の報告と本国政府の判断を照合する方法が見えます。巻末の文献案内も、同時代の新聞や先行研究の位置づけを知る手掛かりです。運河完成後に近い時点から百年間を見渡した本書は、交通路の中立化を掲げる外交と、実際に優位を確保しようとする国家の行動との間を、史料に即して考えるための研究です。
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- 原刊
- ワシントン、American Historical Association/ロンドン、Oxford University Press、1916年
- 翻訳版
- 318頁
- 図版・挿図
- 1点
- 原刊言語
- 英語
SOURCE & PUBLICATION DATA
底本・公開情報
- 底本
- Mary Wilhelmine Williams, Anglo-American Isthmian Diplomacy, 1815–1915(Washington: American Historical Association; London: Humphrey Milford, Oxford University Press、1916年)。
- 権利・利用条件
- 1916年原刊本文は米国でパブリックドメインです。著者メアリー・ウィルヘルミン・ウィリアムズは1944年に没しており、日本でも著作権保護期間を満了しています。デジタル画像には公開元および所蔵館の利用条件が適用される場合があります。
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